トーキョーN◎VA クロニクル

 購入しました。

 素直に思ったのは、過去のアウトフィットの数々が嬉しかったこと。
 素直に思ったのは、ああ次のサプリメントはどうするつもりだろう…ということ。

 そんなわけで嬉しさと、予想通りの落胆があります。

 昨日、買う前に思ったことは、やはりそのままに印象として残っています。
 けれどもう少し前向きに考えると、この胸に抱えるワクワクした情動に由来していることに気づいて、少しだけ嬉しくなります。

 正直に言って“爆破―Detonation―”は失敗したのだと思う。クロニクルの存在はその証明となっている。今更過去が必要か?
 確かに多くのユーザーにとって連綿と繋がる過去の記憶は失いたくないものだ。新規のユーザーにとっても、意味があるものだ。
 けれど、それらは爆破しようとしたのではないだろうか。その先に、新しいN◎VAの歴史を生み出していくことを望んだのではないだろうか。破壊の後の再生。それは、過去を捨ててでも新しいものを生み出そうという気概だったのではないだろうか。
 けれど、それは失敗したのだ。これまで描いてきたN◎VAの歴史という下地なしにはN◎VAを描けないということを認めてしまったのだ。
 だからN◎VAのDetonationは失敗だったのだ。

 けれど、と私は思う。
 負けたのはF.E.A.R.であって、N◎VAではない。
 この圧倒的なまでの歴史は、すべてN◎VAを愛し、N◎VAを遊び尽くしてきた数多の愛好者たちが生み出してきたものだ。冬の時代を超え、革命――遊び尽くすという――を成し遂げたユーザーたちの歴史。
 N◎VAの過去とは即ちユーザーのものなのだ。
 だから、N◎VAは負けていない。
 作り手がどうあることを望んでも、N◎VAは私たちのものだ。
 そして私たちのN◎VAは勝者なのだ、と高らかに宣言しよう。
 その結実こそがクロニクルだったのだから。