TRPG徒然

 Tabletalk Role Playing Game(以下TRPG)は難しい遊びだ、というのが自論です。

 最近は売る側も、それを前提としているせいか、誰にでも遊び安い。言い換えれば売りやすい商品を提供することで顧客、あるいは市場の拡大を目指しているせいもあってだいぶ遊びやすいものにはなってきました。

 が、やっぱりTRPGは難しい遊びだ、という自論は変わらないままです。もう少し踏み込んだ表現をするなら、難しいことが前提で、その上で遊び手の能力次第でその楽しさが極端に差を広げてしまう遊びなのだと思います。

 TRPGは――まあ、RPGです。だから別にTRPGからTの部分をなくして普通にプレステやDSでRPGをやれば似たような物語を楽しむことはできます。それが多少のお金がかかり、あるいは用意された物語であったとしても商品としてパッケージングされた形になっている以上、ある程度の完成度は見込まれるわけで、素人がそれなりに遊ぶレベルと比較したらやはりお金を掛ける価値はあるのだろうとは思います。
 それでは、なぜわざわざ素人が寄り集まって、手間暇掛けて遊ぶのかと言えばこのTの部分に価値があると考えるからでしょう。T―つまりはTableTalkの部分。卓上での会話、即ちコミュニケーションの要素です。

 プログラムされたソフトの中での反応はもちろん用意されたもの以上には作れません。TRPGならそれができる。それがTRPGの価値であり魅力であるというのは、まあそう間違っていないでしょう。けれども、これがTRPGのやっかいなところであり、問題点でもある。

 TRPGであったとしてもデータ的な問題に関してなら間違いがあれば、公式にFAQやらエラッタなどで訂正すればいいだけで問題はないでしょう。遊ぶ際の間違いも、発覚したら訂正すればいいだけ。ところがコミュニケーションの問題というのがTRPGを遊んでいると往々にして起こる。これはTRPGを少しでも続けて遊んだことがある人であれば概ね一度は感じたことがある問題だとは思う。(もしそれを一度も経験したことがない人がいるなら、それは当人にとって一番の幸せであり、周囲の人間にとっては不幸なのだろう。)

 TRPGでのコミュニケーションの問題は、実はTRPGという遊びそのものに問題があるわけではないのだと思う。なぜならTRPGにおいてコミュニケーションというのは前提条件であり、本来なら当然の人間関係が築けていれば何も問題など起こりえないはずなのだから。
 ところがこの『当然の人間関係』というのが難しい。何をもって当然の人間関係というのか。実は当たり前の顔をして、そう書いている私だってそれが何かと問われて、とりあえずの答えは出すかもしれないけれども、正解だとは言い切れないからである。それぞれに人間関係には考え方があって、それぞれに悩みながらも解決する。それが、TRPG以前に人間として要求されることだろう。しかしやっかいなことに、この当然の人間関係、コミュニケーション能力をTRPGではある程度前提条件にしてしまっているのである。
 正解のない問題を前提にして準備してしまえば、当然齟齬が起こりやすくなる。意見の不一致は、一見してそれぞれのルールに原因があるように見えて、実は人間関係そのものにトラブルの種を抱えていることの方が何倍も多い。そういう部分に目を向けずに、あるいは目をつむって作り上げてしまっているのが今のTRPG市場なのではないかと思うのである。

 だからこそ、その部分に依拠しない、誰がやってもそれなりに遊べるルールが求められる。売れて結果を残すことになる。
 でも、それだけでしかないシステムはやがて移り変わる中で飽きられ次に取って代わられる。
 そういうものと割り切るしかないとしても、どこか寂しい気持ちは避けられないのである。

 …なんだか最初に書きたかったことから大幅に道がそれてしまった…。