SWリプレイ

 へっぽこ最終巻「名乗れ!今こそ大英雄」を読みました。
 気がつくと全10巻。SWのみならず、一つのリプレイの最長不倒です。

 しかし当初、一巻を読んだ感想は私の中では決して高くない…もっと素直に言えばかなり低い評価だったことを覚えています。
 その最大の要因はプレイヤー。ガルガドという重石があったものの、ヒースクリフとノリスの二人のロールプレイにはひどく憤慨した記憶があります。とりわけノリスに関しては商品としてのリプレイにあるまじき、他者の迷惑を顧みなすぎるプレイだと思いました。
 イリーナに関しても筋力に特化している以外は存在感がない状態でしたし、中庸的なマウナの存在もプレイヤーの奥深さなのか、ノリスとヒースの暴走を止められない。
 そんなTRPGをする人間にとっては頭の痛くなるような状態でのセッションが商業紙として存在することに私は憤りを感じました。私の相棒に至っては巻数が積み重なるまで、読もうともしませんでしたし(苦笑)。

 ただ唯一の光明が秋田みやびというGMのマスタリングテクニックの上手さです。
 特に秋田GMの上手さはミステリ的な、あるいはロジック的に丁寧なシナリオの造りと、何よりもプレイヤーとキャラクターを良く見て、その関係性の中に物語を見出そうとする姿勢にあると感じました。
 男性のGMは自分のシナリオを優先するあまりキャラクター表現などをおざなりにしてしまう傾向があります。それでも例えば「バブリーズ」のようにプレイヤーの上手さが際立ってバランス良くまとまることもありますが、それはプレイヤー任せになっているという側面もあり、SWリプレイに於いて「バブリーズ」で大ヒットした清松GMが四部や五部で低迷した原因の一つはそういった「まずシナリオありき」という姿勢にあったのではないかと思います。

 逆に秋田GMはシナリオそのものがまず「キャラクター」ありきで作られているように思います。女性的感性、と一言で言ってしまえばそれまでですが、逆にそれはキャラクターを重視するあまりにシナリオそのものが主観的になってしまう危険性を孕んでおり、それだけが良いわけでもないでしょう。
 しかし秋田GMのシナリオの巧みさは何よりもしっかりと作りこんであるという丁寧さと恐らくミステリ好きであろうその経験的な綿密さが男性でも中々なしえない客観性と主観性の融合を見事に成立させていたように感じます。

 その結果として“へっぽこ”達は時間経過と共に秋田ワールドの住人として完全に定着していきます。お釈迦様の掌の上で踊ることに不快感を感じずに、むしろ楽しめるようになっていったのではないでしょうか。
 それでも途中で最終回を思わせるタイトルがついたりしていたのは、とりもなさずリスクと共にあったということもあるでしょう。また途中でPCメンバーが代わったのも、そういうリスクに対応するという手段だったかもしれません。特にノリスが外れたというのは、やはり手におえなかったという証明でしょうか。(あとでガルガドは戻ってきたわけですし…)

 それでも秋田GMと“へっぽこ”達はセッションを重ねるごとにいい関係を築き上げてきたわけです。それが結果として魅力的な物語を、強いては魅力的な秋田GMワールドを完成させたのだろうと思います。

 バブリーズのような破天荒さは、確かにないけれど。
 でも身近で、丁寧な物語はリプレイという…あるいはTRPGという遊びの中でとても重要な要素であったように思います。
 世界を救う英雄になることには憧れるけれども、でもより身近に、より“ありえるかもしれない”物語を感じられるのはやっぱりTRPGの大きな魅力だと思うのです。だからこそ、このリプレイがこれほどまでに長く続き、SWリプレイとして、いやTRPGリプレイとしてひとつの金字塔足りえたのだと思います。

 本当に魅力的なリプレイがあって良かったと思います。
 願わくば、次なる秋田ワールドも魅力的な物語であらんことを。