過ちとしても

 もうすでに何もかも諦めるしかないところまで追い詰められているというのが、厳然たる事実なのだろう。そうであるならば、もう安っぽい誇りや奢りは捨てることを努力しなければならない。
 例え、その行為によって自分のアイデンティティが崩れてしまったとしてもだ。
 生きるということそのものに危機があって、それを維持するためにはそうするしか他に手段がない。そんな選択肢を目の前にしなければ選べない自分という存在の愚かさをつくづく痛感してしまう。だが、それを今更感じている自分の幼すぎる思考は、我ながら失笑を禁じえない。

 もうよそう。