文字と私
そんなにご大層なことでもないのだけれど。
私は文章を書くことが好きで、まあ思い出したように何かを書いている。それが小説であることもあれば、落書きであることもある。こうやってブログを書くこともそうだし、HPを作ることもその一環だ。
そのどれも他愛のないレベルのことではあるものの、確かに自己というものを外部へと表出させるための手段なのには違いない。
人間と言うのは因果なもので、何かで自己表現ができないと辛くなってくる。しかも、我侭なことに自分という自己表現を何らかの形で認めてほしいという欲求もいっしょについて回るものだから余計に性質が悪い。
考えてみればオタクと呼ばれる人たちは総じてこの傾向が強い。
例えばスポーツやファッションなどで発散できる人はそれで十分なのだろう。もともと対人傾向の割合が大きいことだから敢えて腐心しなくと他者との評価とは離れられない。
だがオタクたちは残念ながらそれだけでは交流しにくい趣味の世界だ。
だから余計に自己承認を他者から求めたがってしまうのかもしれない。
知り合いが一人精神安定剤を飲んでいるらしい。
抑うつが溜まった結果だ。重いということもないらしいが、結局のところこの『認めてほしい』欲求がデフレのようにその人を追い詰めた典型的な結果。
現実をなんとか制御しながらがんばっていたみたいだが、まあ限度があるのだろう。
対応策なんてものは、あんまりない。
それこと恋人の一人でもできてその人に認めてもらうことができればある程度は解消するのかもしれないけれどもまあ難しいだろう。
そうなるともうこれは一念発起して改心の自己表現を成功させるかきっぱり諦めるかしか手段はないんじゃないかと思うのだ。
おそらくどちらも無理だろうけれど。
だからこそせめてちょっとずつくらい自分で表現する作業をやっていかないと本当に壊れちゃうよとそう思うのです。